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裏参道、北海道神社庁の駐車場に停める
冬はトイレ閉じているが、下100mにある。道路を渡り大師堂に行く |
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案内図の小さな橋を渡り左 |
大師堂前を通り八十八箇所コ−スを行く。上ると すぐ小さな祠がある手をあわせジグザグに上る。 |
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円山には桂の大木があるが寿命がきて いるのだろう倒れているのが多い。 |
新雪で登る人が多い踏み固まっている アイスピックなしでも滑らない。防寒長靴 |
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分岐左、尾根道、真っ直ぐ トラバ−ス尾根道を行く。 |
9時49分チョットしたコル標高101m これから急坂ジグザクに上る。 |
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登りきると分岐、動物園ウラコ−ス帰り行く事にする。 |
この山にふさわしい石碑だ立ち止まって見る。 |
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枝越しに札幌北方面、モエレ山遠望。 |
頂上 10時2分 標高 225.4m |
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島 義勇判官 文政5年(1822)佐賀藩士の長男として生れ、幕末に育った。 蝦夷地に関心を持ち蝦夷地を視察(隠密)した。
札幌本府の建設を受持ったのが開拓判官島義勇(42歳)。明治2年10月、部下と大工や人夫をつれて、銭箱に着き、札幌の土地の調査色々な準備をした。 明治天皇の勅命により、開拓三神、御神体を背負い「札幌神社」として円山(コタンベツ)の地に鎮座。
コタンベツの丘に上って街づくりを計画したと云われている。
大通り西4丁目に役所を建てた「四方にのびる大きな都を思いきって建設を。」と計画した、大通りの北側には、色々な役所を置き、南側には商店や住宅を造ろうというものでした。 その後侍従、秋田県権令(知事)など歴任後、明治7年、佐賀の乱に政府軍と戦いに敗れ首謀者として処刑されている。(53歳) 北海道神宮境内に銅像がある。 |
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